特集 2-1 - HUG

大坊さんと水野さんの
「珈琲」にまつわる談話

2016年8月、よく晴れた日。大多喜にある「焙煎香房 抱」店主・水野俊弥さんと一緒に、大坊勝次さんのご自宅にお邪魔した。東京・南青山にかつてあった「大坊珈琲店」を私は訪れたことがない。だから私にとってはそれまで“本と映画の中の人”だった。
奥様と一緒に私たちを迎えてくださった大坊さんは、静かな話し方で軽やかな物腰をした、目をじっと見て対峙してくださる姿勢が印象的な方だった。「水野さんの珈琲はどうおいしいのか」「大坊さんはどんなふうに感じていらっしゃるか」を伺いたいんです ── 大坊さんには、事前にそうお願いしてあった。

(写真/岩田貴樹、取材・文/あてら編集部・片田理恵)

大坊さん(以下:大坊)「水野さんが焙煎してきてくれたものと私が焙煎したもの、2杯飲むと、多分、少し違いがあると思います。珈琲は同じポイントで焼いていても少しずれる。何の味を出したいか、目指すものは人によって違いますから。その違いがわかれば味が見えるんじゃないか、味の中に潜んでいる要素がわかるんじゃないかと思います」
 
大坊さんはそう言って、2杯の珈琲を淹れて飲ませてくれた。広口瓶に針金を巻き付けて自作するというネルドリッパーを使って。カウンターに立つ後ろ姿が格好よかった。
最初は水野さんのブレンド。店で使っていたものだというカップに注いで渡してくれる。ひと口飲んで納得した。それは実際、いつも大多喜で飲んでいる水野さんの珈琲とは確かに違っていた。なのに、よく知っているいつもの味がする。大坊さんもカップを手にした。ひと口、味わう。笑顔がこぼれた。
 
大坊 「おいしいですね。最高の珈琲です」

坊 「焙煎を進めていくと徐々に酸味が減っていくんです。酸味がゼロになるポイントを7.0だとしますね。酸味をどれくらい残すか、もう一歩焼くか、どこを選ぶかが焙煎のポイントになるわけです。ブレンドをする場合には、1種類は6.8で焼く。もう1種類は7.1、というふうに変えます。そしてその時の意図によって全体を作っていく。
 
この水野さんの珈琲は絶妙です。おいしいです。それは6.85~6.9の要素が多くあるから絶妙なんです。ほんの少しの違いなんです。色は黒に近い焦げ茶色、目で見てもわからない。でも舌ではわかります。誰でもわかるんです。今、多くの珈琲は酸味が強い方で焙煎しますが、我々はここ(6.8~6.9)でやります。そうですよね?」

水野さんが大きくうなずく。
生の珈琲豆を焼くのが焙煎だ。その焼き加減がいわゆる「浅煎り」「深煎り」の違い。浅煎りは酸味が強い。深煎りは酸味がほんのわずかに残る程度。甘みを引き出すポイントは豆の種類によって異なるのだという。ふたりの珈琲は無論「深煎り」だ。
次に大坊さんが昨日焙煎した珈琲を淹れてもらう。口に含むと、先ほどとは全く違う味わいに包まれた。
 
大坊 「今日の私の珈琲はちょっと、オーバーロースト気味。酸味の要素が少ないですね。7.0よりマイナスのものが少なかったんです。今日は4種類のブレンドですが、水野さんは?」
 
水野さん(以下:水野) 「僕は6種類です。1週間ぐらい前に焼いたものを持ってきました。ルーティンワークでやっているブレンド。普段通り、いつもお店で出している通常の物です。『この日のために』って意識してやると違うファクターが入って、調子がおかしくなるので」
 
坊 「私は今は毎日毎日焼くわけじゃない。今回焼いたのは水野さんが来るというのも大きな理由ですよね。だから意図が入るんですよ。意図通りにできるのであればひとつのブレンドができるんだけど、意図通りにはなかなか焼けないわけです。自分としてはもうちょっと6.9の要素を入れたかった。飲んでみたら意外と7.0の出来だったので、もうちょっと6.9寄りにしたかったですね。今日の水野さんのは6.9から6.85」
 
水野 「僕は6.85を目指してます。焙煎をする工房は、時季によって気温差が激しいんですよ。今は体が季節に慣れてきた頃だから作業しやすい。冬はすごく冷えるし、それが一番厄介ですね。スタートするときの豆の温度の高さ、どこから始まるかで焼く時間が違うんです。6.8で止めたつもりが7.0までいっているとか」

大坊 「苦みがどうなっているかは重要です。7.1を過ぎると急に苦みが強くなる。深煎りが嫌いな人は苦くて嫌い、焦げくさくて嫌いだという。よくわかるんです。
 
6.8のあたりで苦みが一番少なくなる。感覚的にですよ。6.9で苦みと酸味が大体同じ。ここにどういう甘みが生まれるかを考えます。豆によっては7.1までいったときに、もっと大きな甘みが生まれることがある。どんな豆でもって言うわけではないけれど。それに苦みがあんまり少なくても、とも思うわけです。そのときによって目指すものが変わってくる。
 
ただ、今日の2杯を比較するのじゃなくて別々に飲めば、同じような味だと思いますよ。こんなに違うけど同じだとも言える」

大坊さんの珈琲は、ひと言でいえばいろんな味がした。甘くて、苦くて、フルーティで、香り高い。4種類の豆とそれぞれの焼き加減をすべて味わえる感覚といえばいいだろうか。とにかく初めて飲む珈琲だった。
 
大坊 「ブレンドには、要素のひとつひとつがなんとなく存在することもあるし、溶け合うこともあります。思うようにいってるときは楽しいんだけど、そうじゃないときはこんな苦しみってないですね。商売をやっていると、それをお客様に出すわけですから。
 
飲む人にいろんな反応があるのも当然です。好きな味がどこなのか人によって違う。明らかに苦みが強いものが好きな人もいます。だから、珈琲は100人いれば100通り。これから珈琲屋になりたいという人にも『あなたの好きな味にやるしかないよ』としかいえないんです」
 
かつて大坊さんの珈琲に打たれた水野さんは、会社をやめる決意をした。そして、それまで会話も交わしたことのなかった大坊さんに手紙を書いたという。「珈琲をつくるひとになりたい」と。
 
大坊 「……覚えてないですね(笑)」
 
水野 「数日後に電話をいただいたんです。『まずは焙煎からやるといい』って。『買っておいてあげるから。まずはこれを買いなさい』と言われるままに大坊さんと同じ手回しロースター(焙煎機)を買いました」
 
大坊 「自分もアパートで、手回しロースターで始めましたから。水野さんはそれまでにも店に来てくれていて、“こういう味”というのはわかっていたわけですから、自分で焙煎すればそれに近いかどうかわかるじゃないですか。焙煎はまったく初めてでも誰だってできることだと思ってますし、そこから始めたら、と言いました。今でもそういうと思いますよ」

水野さんが「大坊珈琲店」でアルバイトをしていた頃、同じくスタッフだった女性がいる。竹部春美さん。当時、珈琲以外で唯一メニューに並んでいた「ベイクドチーズケーキ」を作っていた人だ。勝手ながらぜひにとお願いをして、取材当日、当時のレシピを再現してケーキを焼いてきていただいた。
 
竹部さん(以下:竹部)「スタッフとして働いているときに作っていったんです。お菓子作りがもともと好きで、通っていたお菓子作りの教室でもいろんなものが余るから(笑)。そうしたら大坊さんが『チーズケーキ作ってみない?』って。『クドウ(2016年3月に閉店になった、青山の老舗ケーキ店)のチーズケーキが理想なんだ。うちのコーヒーと合うから』って」
 
 
大坊 「『私がこの珈琲に合うケーキを作るから、メニューに入れてください』って言ったでしょ」
 
竹部 「違いますよ! あんまりオーケーが出ないから『ほかに持ってっちゃいますよ』っておどしたことはあったけど(笑)。大方これでいいんだろうけどもうひとつ、みたいな感じがずいぶん続きましたね」

大坊 「機は熟していたと思うんです。何回か前のやりとりで、これを減らしてこれを増やせと言っておきながら、修正したら逆に今度はこれを増やしてこれを減らせと言ったり。味は言葉で的確に表現できるものじゃないんです。繰り返していくと、だんだん近づいていく。でも、この前はこうなのに今度は逆って、きっとはらわたが煮えくり返ることもあったんじゃないかな」
 
竹部 「どんな工夫をしたかとか、全然覚えてないです。でも、あまりにもうまくできなくて、チーズケーキを1回だけ捨てたことがあったんですよ。その後『もう捨てることは絶対しない』って思いました」
 
大坊 「最初からベイクドチーズケーキでしたね。当時、洒落たコーヒー店ではレアのチーズケーキが流行っていたんですけど、ベイクドチーズケーキを食べて珈琲を飲んだ時に『こっちだな』と。クドウのケーキを目標にしたのはよかったと思います。おいしいんですよ。ケーキ自体がおいしいというか、このコーヒーと一緒に食べたときにおいしい。チーズとワインの組み合わせがびっくりするほど合うことがありますね。それと同じです。
 
それでだんだんクドウのケーキよりも、彼女が作っているもののほうが合うようになった。両方がよけいおいしくなるんです。珈琲の香りが口の中に残っているときに食べるこのチーズケーキはおいしいと思う」

大坊さんはこれまでに何度か大多喜を訪れている。「抱」のカウンターに立ち、珈琲を淹れたこともあるそうだ。水野さんが東京から大多喜に居を移して珈琲屋をやることになったとき、大坊さんはどんなふうに感じたのだろうか。
 
大坊 「うらやましいと思いました。私が街の中を選んだのは、つまり混沌を選んだわけです。珈琲が好きで、珈琲を目指してくるのではない、単なる打合せや通りすがりといった、目的が違う人も来る。珈琲好きだけが集まるところじゃない。そういうほうが好きなんです。
 
 
「抱」は行きにくいし、通りかかってブラッと入ってくるお客さんはあまりいない。最初から選ばれた人だけが集まるような店。そこに席だけあればいい人はいないんです。でも小さい町でやる方が、自分の意志を伝えることができるんじゃないか。伝えたいと思えば伝えられるんじゃないかと思うんです。そういう意味でうらやましいですね。私も故郷の盛岡でやるのか、東京でやるのか、考えましたから」

前回「抱」を訪れた際、実は大坊さんは水野さんに苦言を呈したのだという。その日水野さんが焙煎した豆は、6.85の意図とはかけ離れたものだったからだ。
 
大坊 「ここにこういう店があるってことが口伝えで広まっていくときに、動いてはいけない。動かないことが大事だと思うんです。『ちょっと苦すぎるけどこんな店があるんだ』と。
 
でもあのときの水野さんには『ここにいる人の好みに合わせてこうしている』という姿勢が見えた。それは違うんじゃないかと思ったんです。自分にはそういう感じがした。『せっかく自分の珈琲を隅から隅まで伝えられる場所にいるのに、なんであなたが変わるんだ』と言いました」
 
水野 「おしかりをいただいて自分でも『本当にそうだ』と思いました。今は1種類だけ、苦いのはどうしても飲めないという人向けの豆を置いてます。あとは自分がやりたい珈琲を、伝えたい珈琲をやっていくと決めました。
でもおかしなもので、自分がしっかりそう決めたら「酸味は苦手でここに来ました」って人が出てきたんです。すっぱい珈琲全盛のなかにあって、わざわざ大多喜まで足を運んでくれる人が増えてきた。自分でスタンスをしっかり決めて淡々とやることは大事なんだなと思いましたね」

水野さんはその後も毎年、豆を焼いては大坊さんに送り続けてきた。昨年受け取った手紙で初めて褒められてびっくりしたと笑う。本当に本当にうれしかった、と。
 
水野 「そのときに送ったブレンドを指して、これが続けられれば完璧って書いてあったんですよ。もう、やったーと思って」
 
大坊 「作って、飲んで、けずりたいところが次の焙煎の修正点になるんです。飲む人の笑顔を感じるような珈琲が作りたい。明るい味に笑顔を感じるから、今はまだちょっと暗いなとかね。重さや暗さをなくしたい。刺すような、とんがっている感じも消したい。そうやっていろいろ試して、修正したいものがほぼない状態が、完璧。完璧っていったのはそういうことですね。
 
そうそう、ひとつ質問していいですか? 店をやめることになった頃、あなたが「自分にとって一生の仕事が見つかりました」と言ったんです。あの時の気持ちはどういう気持ちだったの?」
 
水野 「とにかく珈琲を焙煎して飲んでもらうんだということを決めたんです。『生活の糧にならないとしても、自分の表現方法としてやっていきます』という宣言だったと思います。
 
東京では何度も頓挫した「店を持つ」ことが、大多喜ではできた。知り合いがひとりもいないところに家族3人で移住して、少しずつ顔見知りが増えて、協力してくれる人が出てきて、『抱』ができたんです。その経験を今若い世代に話して、何か役に立てるとすれば、それがお役目かなと思ってます」

 
水野さんは珈琲屋さんだが、私たち大多喜に暮らす者にとってはその言葉だけではとても足りない。町を取材に来た人も、転入してきた家族も、イベントを企画したい団体も、必ずと言っていいほど皆、まず彼を訪ねる。水野さんはそういう人なのだ。
「珈琲店が何かの役割を果たせるなら素晴らしいよね」── 大坊さんがその日口にした最後の言葉に、居合わせた全員がうなずいた。

焙煎香房 抱(HUG)

千葉県夷隅郡大多喜町堀之内407
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